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10月になりましたね。吹く風もそこはかとなく肌寒い感じです。私は四季の中では春、その中でも「詩人の恋」の第一曲にも歌われている5月がもっとも好きなのですが、その次に好きなのが今の時期、秋のはじまりの頃です。
陽が落ちるのが早くなり、外の景色に紅葉の前兆がちらほらとみえだしたら、受験生時代の秋の風を思い出して、妙に切なくなります。なんなのでしょうね?また秋には何故か、新しいものに没頭したくもなります。スポーツの秋、味覚の秋、読書の秋....。
最近は、ふと目にとまった、「古今和歌集」を読んでいます。もちろん対訳つきのものです。私は自己の思いを表現しようとするあまり、一生懸命にしゃべりすぎてしまう傾向があります。詳細に語ろうとすればするほど、それが却って違う方向に限定されていくもどかしさがずっとあって。。しかし、和歌では、三十一文字にみごとにウラの情景も含まれて凝縮されており、言葉の数の少なさが、逆に世界を拡げていていいなあ、と思いました。
似たようなことで、音楽でも 最初の一音にすべてが込められているように感じたことがありました。
それは初めてブレンデルの演奏を生で聴いたときのことなのです。出だしの一音の響きで会場全体が静まりかえり、瞬時に私は「あ。。。!人生のいろんなものを含んで、それを受けとめてきた深い音だ」...と、実感しました。『渋い』などと言うひとことでは片付けられない深み。派手ではなくて、あたたかい眼差しにも似たような。うぅーん。。。やはり、私は自分の想いを言葉にするのが得意じゃないようです。。。
ブレンデルの一音一音の深さに、三十一文字と共通するものを感じました。
私は今、試行錯誤している段階で、まだまだ人間的にも未熟なのですが、どんなことがあっても音楽に誠意を持って触れ続けていきたいと思います(音楽だけに関わらずですが)。
それが音に現れるようになるのは、長い時間がかかるとは思います。でも、『おしゃべり』のように鳴るだけではなく(それも私らしさのあらわれかもしれませんが)、自分の想いが、ふとした音に込められるようになりたいと思います。
最近はどんな演奏を聴いても、表面だけでなく、その人の演奏の背景にある想いとはどのようなものか、と無意識に探しながら聴いてしまいます。まあ自分なりのアンテナなので、必ずしも絶対的なものとは限りませんけれど!!.....。
でも、こういう聴き方を続けていると、演奏者の内面(の一部分)がどこかに表れているなあ、と感じます。
私ももっと人間の幅が大きくありたいな、それをめざして音楽を続けたいな、としみじみおもふけふこのごろでございます。 |
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